2017年1月12日木曜日

大和デパートと街の変化















遡ること数週間、2016年の年末。






















山下の家具・旧大和テナント店が閉館した。

旧大和デパートの建物は今年の2月には解体工事に入る。
























完全閉館伴う、大和デパートのお別れ展が開催され

連日、大勢の人々が足を運び、平日の日中にも関わらず賑わいを見せていた。


「大和デパート 記憶と希望〜まちへ行こう〜展」


この展示をもって一般の出入りは恐らく完全にこれが最後となり、

ひとそれぞれ、「解体」という決して抗うことのできない現実に対して

懐かしい記憶や大切な人との思い出を整理しにいったのではないだろうか。

私もそのうちのひとりである。
















































展示会場は2F。

アートの一部として、壁が破られていたり

柱は内装が剥がされコンクリート剥き出しの部分があったり、

また、陳列棚も商品もないフロアは、

初め入った瞬間は結構衝撃的であり、

何とも言えない気持ちいになった。

でも、天井や、案内看板、トイレやエレベータを目で追っていくうちに

紛れもなく、大和の中にいることが実感でき、

様々な思い出が蘇ってくる。







以下、懐古主義に片寄った考えのみの

私の個人的な思い出に少々お付き合いください。。








私が生まれたのは、万代の第一、第二駐車場ビル、シネモールビル、駅南にプラーカが完成した直後の年

その1、2年前には万代シテイに「新潟伊勢丹」が完成し、

70年代前半にバスセンター、シルバーホテル、東映ホテル、

シルバーボウルビル、ダイエー、ミナミビルなどの出現により

一気に開発されつつあった万代シティーが

更に賑やかになった第2開発期くらいの頃だろうか。

さらに80年代に入ると間もなく「小林百貨店」から「新潟三越」に変わり、

新潟の街は古町を中心にデパートの賑わいで華やかで、

買物といったら迷うことなくデパートに行っていたような時代。








私は、自分の両親や両祖母が大のデパート好きであったため

恐らく田舎暮らしの家にしては、かなりの高頻度で

デパートに行くことが多い家族であったように思う。

それは今でも変わらずで、今日も愛して止まない「新潟三越」へ

ターシャ展を観に行ってきたところであり

デパートに対して、引いては新潟の街に、思い入れが結構あるほうだと思う。





しかし、わたしは物心ついた頃から今までの25年程の新潟の街しかしらないのだが

美容部員であったがため、新潟のデパートを満遍なく勤めた母の話を改めて聞くと、

まだまだ私の知らない昔の古町や新潟のことをいくつか知ることができた。



「WITH(2011年に解体)」はその前、「イチムラ」というデパートであったというし

そのすぐ隣には「長崎屋デパート」があったという。

さらに東掘りを越え、本町に移動すると、

今の「イトーヨーカドー丸大」は、当時「丸大デパート」であったという。

そして近々解体予定の駅前のマルタケビルは「マルタケデパート」であったというから驚いた。

また、私自身が記憶に新しいのは新潟駅地下の「名店デパート」。

決してデパートという感じではなかったが、あの看板や昭和のレトロな雰囲気は今でも忘れられない。




そして、デパートでなくとも古町界隈は今か想像もつかないほど賑やかであった。

今から16年前に閉館した、カミーノには映画館やタワーレコード、島村楽器なども入っていたし

93年にNEXTが完成し、シースルーエレベータに乗って夜景を見ながら

初めてラフォーレの新しいフロアに

足を踏み入れたときの感動は、幼いながらに鮮明に覚えている。

そして、こちらも数年前から解体の話が

発表されている古町8番町の「大竹座」も、

「VAN」などをはじめ、アパレルも入っていたといい、

ケータイのない時代の待ち合わせの定番はもちろん北光社。

他にもまだまだ、古町5番町の「明治屋」、4番町のおもちゃの「ひのや」だったりは

子供心に計り知れない魅力で、いっぱいの思い出をもらった場所であった。

そんなに広くない新潟の街の中で、デパートやお店が密集し、選択肢がいくつもあった時代が

つい十数年前まで存在したことに、今となると何だか深く考えさせられるものがある。







話は大和に戻り、

当時はデパートやお店の選択肢があったこと

また、自分の年齢に比例しないことなどもあり

私自身は 「大和」での買い物は 「三越」「伊勢丹」に出入りする割合に比べて

極端に少なかったのだが、大和の地下の「DONQ」ドンクのパンは

近隣のパン屋さんの中では格別に好きで、好んで良く食していた。


三越での買い物の足で、「西堀ローサ(今より20倍は活気のあった)」を通り、

噴水のあった中央の広場で一休憩すると、毎回祖母から

レインボーチョコのトッピングされたカラフルなアイスクリームをねだって買ってもらい、

当時広場にあったピアノの自動演奏を見るというのが楽しみで

それに満足すると、いよいよ大和でドンクのパンを買うというような流れであったように思う。




また、「たまごっち」の流行した97年のゴールデンウィーク。

三越、ダイエー(現・ラブラ)を皮切りに、たまごっちの抽選販売が大和でも開催、

三越でのそれ(確か200個限定)に敗れた私は、数日後も早朝に起き、父親と大和デパートに並んだ。

※大和デパートはその当時最高数の300個くらいのたまごっちを販売したように憶えている

朝早く、店も開いていない古町の通りには、カミーノの西堀入口近くから行列がつづき

ぐるっと大和を回るかたちでホリカワパチンコ側の入口から入り、抽選会場の7Fまでの階段をゆっくり、またゆっくり、

大行列の中でドキドキ胸を膨らませた記憶が懐かしい(結局ハズレて涙を呑んだのだが)






ホリカワパチンコ側の階段とエレベータ
エレベータは日立製の4枚扉のオーダーもの。数少ない貴重な古い「ビルエース」というエレベータだった。
約10年前にリニューアルし「アーバンエース(2期型)」に更新された際には、
障害物をレーザーで感知するセーフティ機能も搭載され、
近隣デパートではいち早く最新の安全に配慮されたエレベータだったように思う。










そして多くの人に親しまれた7Fの「レストランダイワ」。

入口の食品サンプルや、レトロな佇まいは、2010年に店を閉じるまで、

変わらず良い時代のデパートの味わいを保ち続けていた。

ここへの憧れや、思い出は私の父親世代の方たちからとかく良く聞き

私が当時父に連れて行ってもらったのと同様、

父も祖父からつれてきてもらっていて、

また、屋上の遊園地で遊ばせてもらったのが楽しかったというのだ。










在りし日の様々な思い出の品が柱などに貼り付けてある

当時の食品サンプルも展示の一部で使われていた








そして、大和デパートといえば

「エレベータ」。



時代が変わり、近隣のデパートからエレベーターガールの姿が消え、

時代的にも天然記念物となりつつあった頃でも

大和にはエレベーターガールが健在していた。

その優雅で、凛とした姿に多くの人が魅了されたのは言うまでもない。







大和デパートは良い時代の古く懐かしくて、

何だか少し切ない、2度と戻れない

昭和の記憶を最後の最後まで、保ち続けたデパートであったように思う。


















エレガのいたエレベータ。今では貴重な日立の初期の「ビルエース」。のちに「アーバンエース」にリニューアルされた。


乗り場側の開錠穴のない珍しいタイプ


このインジゲータにランプが燈ることももうない。


もう2度と動くことのないエレベータ。今までどれだけの人を乗せてきたのだろうか













































いよいよもう目の前にきている、大和デパートの解体。






きっとまた、古町景色が大きく変わる。

行政機能移転により、跡地には2019年に11階立てのビルの完成が予定されている。








今朝の新潟日報の記事のひとコマ

「将来的に大きな投資をするとすれば、新潟伊勢丹を優先して収益力を高め、

新潟三越は縮小する可能性もある」

まだ、可能性という段階とのことであるが、

どうか、いや絶対に、そのような流れにはならないようにと切願して止まない。

新潟三越、引いては古町の今以上の活性を心から願わずにはいれない。






大和デパートとの引き換えの

行政機能移転によって、この先の未来、どれだけの流れの変化が期待できるか

せめてもの期待である。





柾谷小路の景色も今、大きく変わろうとしている。





街が変わることは、どうすることもできない。

車社会の新潟ならなおさら、

利便性の良い郊外に流れていくのは当たり前なこと。





だからこそ、もう一度、お世話になったこの街を

街を歩いてみて、感じて

変わり行く時代を肌で感じてみて欲しいと思う。